東京大学名誉教授、政治学者
御厨 貴 氏
プロフィール
御厨 貴
(みくりや・たかし)
1951年、東京都生まれ。東京大学法学部を卒業後、米・ハーバード大客員研究員、政策研究大学院大教授などを経て、現在は東京大学先端科学技術研究センター・フェロー。専門は日本政治史。
日本における「オーラル・ヒストリー(口述記録)」の第一人者で、この手法を用い、故・竹下登氏や故・宮沢喜一氏ら歴代宰相の実像に迫った。また、TBSテレビ「時事放談」の司会を11年半務め、接した政治家はのべ1000人以上。執筆活動も旺盛で「日本政治 コロナ敗戦の研究」(日経BP、共著)など著書多数。「東日本大震災復興構想会議」議長代理、「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」座長代理などの立場で重要課題に向き合ってきた。
政治学者で東大名誉教授の御厨(みくりや)貴氏が6月16日、福岡市のホテルニューオータニ博多で開かれた毎日・世論フォーラム第343回例会で「大震災・コロナ・ウクライナ~令和政治の3大課題~」と題して講演し、7月の参院選後の政治状況について「本気で議論する論争の時代に」と期待を込めた。
御厨氏は、岸田文雄首相が掲げる「新しい資本主義」について「表紙だけで中身がない」と批判。内閣感染症危機管理庁やこども家庭庁の創設にも「作っただけでは解決しないのに国会で議論せず、政治は危機的だ」と指摘。ロシアのウクライナ侵攻を機に日本の防衛に関する議論が活発化するなか、岸田首相が、自民党が提言した「反撃能力」を、従来の「敵基地攻撃能力」と同じ趣旨で使っていると述べたことに対して「同じなら、なぜ違う言葉を使うのか説明していない」と疑問を呈した。
御厨氏は我が国の防衛問題についても言及。「先延ばしにしてきた日本の防衛をどうするのか。憲法改正や防衛の問題を、保守とリベラルの論客は本気で議論しなくてはいけない」と訴えた。講演要旨は次の通り。
平成の終わりに東日本大震災があった。令和になって感染症、新型コロナウイルスが生じ、今年に入りウクライナ侵攻が起きた。相対的に地震への関心がかなり薄れたのではないか。この三つを歴史的に探ってみようというのが私の課題だ。
令和の政治。ことは深刻なのに意外に軽い、というか、突っ込みどころがあるのに突っ込まない例を最初にあげたい。岸田文雄首相は参院予算委員会で、いわゆる「敵基地攻撃能力」と自民党が提言した「反撃能力」を同じ意味で使っている、という答弁をしたという記事が新聞に載った。一緒であればわざわざ違う言葉を使う必要はない。何がどう違うのか、政府は説明しなければいけない。普通なら相当程度、与党からも言われるだろうし、野党もそれはおかしいと言ってもいいはず。しかし、与党も野党も、指摘しただけで、総理からそう言われて引き下がってしまう。論戦が想定されていない。
もう一つ。政府の骨太の方針の原案で原子力発電について「可能な限り依存度を低減する」という表現を見送ったが、萩生田経産相は「政府の方針、政策に変更はない」と。当然、政策が変わったと思うが「変わっていない」と。原発回帰のなかで最大限に原発を使いたいならそこをきちんと説明しないといけないのに。
同じ(日の)政治面にこういう二つの事象が書かれていて、これがある意味、政治の決定のなさだ。議論が起きない。違うことを言ってもひとくくりにしてしまう。新聞記者の諸君と話しても、彼らもあまり重視しない。
ここ3代の総理大臣をみると、菅首相は説明をしないという説明をして議論を封じた。安倍首相はむしろ戦闘的で、何かを言われたらその問題について言い返す。次から次へと問題を提起する。自分の方から積極的に言いつのることで、全体的拡散のなかで潰していく。岸田首相はどうか。説明はするが、「それは全部一緒、見方が違う」といってすり抜けようとしている。民主党政権以降、議論の持って行き方がこういう風に変わってしまった。議事録を見ても、議論をしているとは到底思えない。
昔は「A」なら「A」という主張をもとに「Bはよくない」と主張した。野党もそう。能力は高かった。(民主党政権以降、ここ三代の政権を経て)明らかに与党の説明能力が変わったが、それ以上に、(問題を)摘出する野党の能力が落ちている。与党のスキャンダルを問題にすることは別に悪いことではない。その度合いと政治の重みを図って、文春砲が出した以上の事実を出せるならいいが、野党の質問は自分で調べず、「週刊誌によると」。そのような攻撃をしたところで、与党はどうやったら逃げられるか学習済みだ。だが、それを言って「野党の点数」というのが、民主党政権以降の国会答弁の特徴だ。
岸田内閣の支持率が極めて高い。何かやったから高いのかというと、そうではない。何もやらないから高い。岸田首相は宏池会出身。宏池会的な用語を振りまいて、資産所得倍増、デジタル田園都市構想……最近は新しい資本主義と言っているが、表紙だけあってその中身がない。
今の政治は危機的な状況にある。とりわけ問題なのは、議論をしない、事挙げはするけれど、議論には持ち込まず、与野党が議論はもう終わったね、と。それが国会だと思っているが、これは大きく違う。歴史を勉強した者からすると、戦前の制限を受けていた帝国議会の方が、よほど論戦らしい論戦をしている。戦後も吉田内閣以降、乱闘もあったが与野党の議論は、ある種の議論をやる前提でやってきたが、いつの間にかそういうこともなくなった。それが国会の危機だ。
どうしてそうなったのか。なんといっても一番の原因は、民主党政権が3年で潰れた後、安倍さんが7、8年、政権を維持したことだ。
全体的には彼はリアリズム。どんな場合でも、右側や保守派が言っていることを全面的に取り入れることはしなかった。ただ、その保守的な雰囲気、保守的なものをタブーなく言い続けた。安倍さんに必ずしも賛成でない人は、いた。彼らと議論すると、一つや二つ安倍さんの言う通りにしても、歴史修正主義、日本は戦前必ずしも侵略はしなかったという主張には同調しない人たちはたくさんいた。しかし、今や自民党のなかでそんな主張はできないと言っている人はいなくなった。野党も、保守主義的な主張に理解をした方がいい、と変わった。
ウクライナ侵攻によって、先延ばしにしてきた「日本の防衛をどうするのか」を考えないといけないところまで来ている。リベラルと言われている人たちも「こういう議論はしない方がいい」というのではなく、やっぱり参加しなくてはいけない。そうすることで、防衛論争はもう一段、上にあがる。憲法改正ありきではないけれども、憲法を改正するところまでいくような改革案が出るかどうか。本気で議論しなくてはいけない。憲法改正がいいか悪いかではなく、憲法改正に進めるのかどうか。防衛論争もそうだし危機管理もそう。そのような問題を真正面からとりあげて、それがやれるのかどうか。参院選の後、この「黄金の3年間」が、そういう論争の時代になれば、日本の政治もなかなか捨てたものではない、となるのではないか。