毎日・世論フォーラム
第341回
2022年4月14日
筑波学院大学教授 中村 逸郎

テーマ
「ウクライナをめぐる米中露の思惑」

会場:ホテル日航福岡

欧州がロシアに切った『最終カード』
/経済戦争に拡大する危険性も

中村 逸郎 筑波学院大学教授
中村 逸郎 氏

プロフィール

中村 逸郎
(なかむら・いつろう)

 1956年、島根県生まれ。学習院大法学部卒業後、83年にモスクワ大、88年にはソビエト連邦最高の学術機関・ソ連科学アカデミーに留学した。2000年、島根県立大助教授、01年、筑波大助教授を経て07年から22年3月まで同大人文社会系教授。同年4月から筑波学院大教授。専門はロシア政治。17年、シベリアの最辺境の地に暮らす人々の生活をルポした「シベリア最深紀行」で梅棹忠夫・山と探検文学賞を受賞。「ロシア市民」(岩波新書)「ロシアを決して信じるな」(新潮選書)など多数の著書がある。また、多くのテレビ番組に解説者として出演している。

 筑波学院大の中村逸郎教授(ロシア政治)が4月14日、福岡市のホテル日航福岡で開かれた毎日・世論フォーラム第341回例会で「ウクライナをめぐる米露中の思惑」と題して講演した。中村教授は「ロシアのウクライナ侵攻を受け、ロシアから天然ガス輸入を抑える機運が欧州で高まっている」と指摘。「天然ガスはロシア経済の生命線。欧州とロシアの経済戦争に拡大する危険性が高まっている」との見方を示した。
 中村氏は、ロシアにとって第二次世界大戦の対独戦勝記念日に当たる5月9日に向け「何らかの成果を掲げるため、戦闘がより激しくなるかもしれない」とも懸念。ロシアと良好な関係を築いてきた中国、インドにも、ウクライナ侵攻の後、ロシアと距離を置く動きが出始めているとの認識を示した。講演要旨は次の通り。
 ロシアによるウクライナ侵攻で、アメリカのバイデン政権がなぜウクライナを支持しているかが大きなポイントだ。ウクライナは元々、それほど欧米寄りの国ではなかった。2014年にウクライナでポロシェンコ大統領が誕生し、アメリカ寄りの政策、欧米路線にかじを切った。それをサポートしたのが、当時副大統領だったバイデン氏。ロシア側から見ると、バイデン政権の誕生は、ロシアとウクライナが険悪になった一つの要因だ。
 今のウクライナの国境線は1918年、ブレスト・リトフスク条約がドイツとソ連の間で結ばれた時に確定した。その前まで(ウクライナの)西側はポーランドに帰属していた。ポーランド人から見てもウクライナの人たちは仲間だ。従って、ウクライナの人たちはどんどんポーランドに逃げている。NATOはなかなか動かない。アメリカも腰が重い。そういう状況で、ポーランドがウクライナを守ろうという動きが出ている。バイデン大統領はこの動きを止めるため、ポーランドに行って、ウクライナに入らないよう説得したと言われている。平和維持部隊と称してウクライナ人を守ると、ポーランドがロシアから攻撃を受けてしまう。そうなるとNATOも黙ってはいられないということを警戒したためだ。
 プーチン大統領は侵攻した時、あっという間に制圧して傀儡政権を作ろうと思ったかもしれないが、思ったように事態は動かない。そうした中で戦略を変え、ウクライナという国を壊滅させてやろう、ウクライナに住んでいる人を難民としてヨーロッパに送ることでヨーロッパへ仕返しするよう戦略を変えたようだ。
 侵攻の大きな理由の一つとしてロシアが考えているのは、NATOの東方拡大をやめなかったヨーロッパに対する復讐だ。冷戦終結後の東方拡大はロシアまで迫っている。近付いてくるNATOに、プーチン大統領は難民をヨーロッパに押し出すことでこらしめてやろうという風に戦略を変えてきているようだ。これからどんどん難民が出てくる。日本も含めてどう受け入れていくかが、人道的にも大きな問題になってくる。
 ウクライナ問題を考える時、ヨーロッパにロシア国内から輸出されている天然ガスが重要な問題になっている。ヨーロッパの天然ガスの40~45%はロシアから。ロシアはパイプラインにだけは攻撃していない。疲弊するロシア経済にとって、天然ガスをヨーロッパに出すことが生命線になっている。この天然ガスをヨーロッパがこのままロシアから受け取ってもいいのかというところが、経済的な問題ではなく、ヨーロッパの道徳的問題として重要だ。4月1日にEUの議会は、全員一致でロシアから天然ガスを受け取るのはやめようと決議した。ロシアには経済の根本にかかわる重要な問題で、外貨が入らなくなってしまう。経済制裁の最終カードをヨーロッパが切ってきたという風に考える。
 経済制裁が徐々に市民生活も含めて効いているのは間違いない。そうした中で抜け道となっているのがインドと中国だ。2年前に国境紛争があった後、中国とインドの間で高官の会議は開かれていなかったが、今年3月に中国の王毅外相が急にインドを訪問した。推測になるが、中国は北京冬季五輪以降のロシアの動向を見て、プーチン大統領にはこれ以上付き合えないと思い始めたようだ。慌てたロシアのラブロフ外相は、4月に中国、インドに行く動きを見せた。インドは、クアッド(=日米豪印4カ国で作る枠組み)の仲間。日、米、豪はそれぞれインドに接触して、ロシアから引き離そうとした。クアッドは元々、対中国包囲網としてつくられただが、中国もクアッドに参加しつつあるのではということになりつつある。ウクライナ侵攻が国際秩序の再編に変化をもたらしているということだ。
 メジンスキーというプーチン大統領の補佐官がいる。クライナとの停戦交渉の代表だ。彼はロシアの特殊性に関する本を書いている。元々プーチン大統領はスパイなので政治家ではない。そういう人にメジンスキーの思想というのは非常に魅力的。それは一言で言うと「力があれば知性は必要ない」というものだ。一番激しい言葉になると「偉大な権力は、この世を楽園に変えるのではなく、地獄に変えることができる権力だ」と書いている。力さえあれば国を守れるという思想だ。5月9日にロシアは対ドイツ戦勝記念日を迎える。その日をどう迎えるかが大統領にとって非常に重要な政治課題になっている。単にナチスドイツに勝っただけではなく、プーチン大統領が唱える特別な作戦について、何らかの成果を掲げて迎えるのではないか。逆にいうと、5月9日に向けてより激しい戦闘が行われるかもしれない。10日以降は本格的な軍事作戦をして、戦術核の使用も出てくるかもしれない。
 プーチン政権で支えていたロシアが倒れたらどうなるのか。何年後か分からないが、これまでの歴史を振り返ると三つに分割されるのだろうと思う。極東は中国がどんどん進出しており、プーチン政権が崩壊した途端に入っていって、中国が勢力を拡大する。そして真ん中のシベリア辺りで、イスラム教徒が非常に多い中央アジアのイスラム圏、もともとのロシアということで三つに分割されるというのが私の考えるポストプーチンのロシアの姿だ。私たちは大きな歴史の転換期にいる。

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