毎日・世論フォーラム
第336回
2021年10月8日
認定NPO法人ロシナンテス理事長 川原 尚行

テーマ
「アフリカから見た日本の現状と将来」

会場:西鉄グランドホテル

アフリカから遠い国になった日本
若い世代による新規事業を

川原 尚行 認定NPO法人ロシナンテス理事長
川原 尚行 氏

プロフィール

川原 尚行
(かわはら・なおゆき)

 1965年9月、北九州市生まれ。福岡県立小倉高校、九州大医学部でいずれもラグビー部主将を務めた。九大大学院医学系研究科を修了後の1998年、外務省に入り、在タンザニア日本大使館に書記官兼医務官として勤務。英国、スーダンの大使館勤務を経て2005年、外務省を辞職した。06年5月、ラグビー仲間とともに北九州市に本部を置きロシナンテスを設立し、スーダンの無医村で医療支援活動を開始。現地の人々とともに、診療所や井戸づくり、人材育成も続ける。19年からザンビアでも活動している。

 アフリカのザンビアやスーダンで医療支援活動などにあたるNPO法人「ロシナンテス」(北九州市)の川原尚行理事長が10月8日、福岡市の西鉄グランドホテルであった毎日・世論フォーラム例会で「アフリカから見た日本の現状と将来」と題して講演した。
 川原さんは「日本はアフリカにいると『遠い国』になってしまっている。電化製品も、日本製から韓国製や中国製に置き換わっている」と指摘。「日本の特に若い人たちにアフリカに関心を持ってもらい、課題を解決する新規事業をつくり出したい」と語った。
 川原さんは外務省の医務官としてアフリカのタンザニア、スーダンで勤務した後、2006年にロシナンテスを設立。医療支援の他、現地で水の供給事業や教育の充実なども手掛けている。「きれいで安全な水を供給することも大きな医療支援になる。我々がいつまでもいるのではなく、現地の人が運営し、行政組織が管理できるように活動している」と強調した。講演要旨は次の通り。
 私が小さい時、家の近くの小さな寺の和尚さんが、人のために生きよと言っていたことを18歳の時に思い浮かべ、人のために生きるなら、と九州大医学部に入り外科医になった。30歳を過ぎて、九州大と外務省が提携関係にあったことから、アフリカのタンザニアに医務官として行かないかと言われた。自分は日本しか知らない、日本を飛び出したいという衝動が起きて、1998年に外務省に入りタンザニアに行った。1年で帰る予定が、結局3年半いて、それからロンドン、スーダンに行った。スーダンは日本政府からの援助が停止されていた。実際に目の前にいる病気の子どもたち、病んだ人たちを何とかしたいと思うが、外務省にいるままでは何もできない。困っている人を支援したい気持ちが沸き起こり、2005年に外務省をやめた。北九州市に戻ると支援してくれる方がたくさんいて、ロシナンテスができた。外務省の医務官は地位と結構な稼ぎもあったが、やめると肩書なし、収入ゼロとなった。妻が働いて家計を支えることがあり、多くの人から「お前は馬鹿だ」と言われた。自分でもドンキホーテみたいな感じと思い、ドンキホーテが乗るロバの名「ロシナンテ」を複数形にしたのが名前の由来だ。
 スーダンで支援を始めた2005、6年ごろは、私が一人で巡回して一人一人を診て回ろうとした。今はいかにして、持続可能に、スーダンの人に医療ができるようにしてもらうかを考えている。どういう医療システムをつくるのがいいかと考えている。
 当初の5、6年は自分で巡回診療し、診療用に建物をつくった。そこで暮らす人の生活環境として、汚い水を飲んでいる。安全な水を供給するのは非常に大きな意味があるので、井戸をつくった。それから、そもそも医療をする人が現地で育てばいいのではないかと思い、学校にいくと、地面に字を書いている。きちんとした学校を作らないといけないと思い、私たちは学校を作るから子どもたちを通わせて、と地元と話した。スーダン政府には先生を派遣して、という交渉もして、彼らに主体になってもらう。それから、お母さん方に頑張ってもらい、勉強して助産師になってもらう。本来なら助産師は大学を出て資格を取るのだが、そういう人たちは首都から車で7、8時間の電気のない地方に、なかなか行きたがらない。特別に2年間の勉強だけで、村落助産師という資格を与えることになり、お母さん方に助産師になってもらった。
 最初は車で動いていたが、持続可能じゃないということで、彼らが自分たちで移動できるロバと台車を進呈した。支援は彼らの目線を持つことも大事だ。とにもかくにも、彼らのコミュニティーに溶け込もうとした。みんなと一緒に、ラマダンの時は何も食べず、お日さまが沈んでからご飯を食べる。それだけで何か幸せな気持ちになる。何もないから、ちょっとしたことでありがたいと感じる世界なのかなと思う。先進国は電気も水道もあって、24時間、何でも手に入る。日本ではちょっと足りないことがあると不平不満を感じる。このギャップが面白い。何もないところにちょっとしたことがあったらありがたい。常にこういう時の気持ちを忘れないでいようと思っている。
 全ての事業を地域社会が担い、我々がいつまでもそこにいるのではなしに、彼らで運営できるようにする。行政組織がきちんと管理するということで、全ての事業を地域社会に渡して、別のところへ移っていく。そういうモデル地区を作れないかと思ってやっている。
 医療の他に水の事業などもやっている。子どもが汲み、飲用にもするのは、動物も入る非常に非衛生的な水だ。2018年に「スーダンに清き水を」というキャッチフレーズでキャンペーンした時、連想したのが清水寺。共同で募金していただいた。水の神様の貴船神社にも助けていただき、スーダンにソーラーパネルを設置した。ポンプを動かし、地下150㍍から水を汲み上げている。すごくいい水が出て、地域住民に非常に喜ばれている。特に子どもたちは水汲み作業から解放された。1時間かけて汲んでまた返ってきてとなっていたが、村の中心に給水場ができた。子どもたちは時間ができたので、勉強するという。「将来、何になるの」と聞くと「医者になりたい」と言ってくれて、すごくうれしかった。子どもたちが頑張って医者や看護師になって地域の医療に携わるのが一番の理想と思う。
 スーダンはクーデターが起きた。バシルという大統領が絶対権力者だったが、独裁者に対し、国民の生活が苦しいということもあって2019年、全国的に反政府デモが起きた。これがすごい勢いで広がり、いろんなところで勃発した。なぜこういう力を持ったかというと、SNSだ。ワッツアップというSNSがあり、今日はどこどこに集まれとか、国民がそれに従って、最終的には軍が国民側について、大統領に鈴をつけた。大統領の辞任後、暫定政権ができた。39カ月の暫定政権の後、2023年暮れか翌年初めに選挙があるといわれているが、また不穏な空気もあるようだ。バシル政権が倒れ、アメリカはテロ支援国家指定を解除したが、クーデターの時うちの近くで銃撃戦もあり、一時私たちも撤退した。別のところでも支援ができないかと、同じように地域医療に苦しんでいるザンビアを選んだ。19年から事業をスタートした。その一つが、マザーシェルター。お産をするとき、ザンビアには自宅で産んではいけないというルールがあるので施設に行くが、近くに施設がなければそこにしばらく滞在しないといけない。マザーシェルターは妊婦がお産を待つための家だ。5月に着手し、ほぼ完成した。来週、完成式典がある。モバイル型のエコーを日本の中小企業が作ってくれたので、持って行き、地元の看護師が使えるようにしたい。
 ロシナンテスは大学支援もしている。コーディネーターの立場で、ザンビア政府に、長崎大学が開発したデジタル母子登録システムの導入なども提案している。また、スーダンでは、熊本大学と現地大学をつないで薬草の研究をしてもらっている。
 日本は、アフリカにいると遠い国になってしまっていると肌で感じる。日本人は顔が見えない。内向き社会になり、在住日本人の数がどんどん減っている。電化製品も以前はほぼ日本製品だったが、今は韓国や中国製品に置き換わっている。乗用車もそう。ただし、若者には日本のアニメーションはどの国も大人気だ。日本の特に若い人にアフリカに関心をもってもらい、来てもらって、課題解決というところから、新規事業を作り出してもらえないかと思う。今、22歳の大学生がスーダンに行って、事業をしている。新型コロナウイルスでオンライン授業なので、アフリカにいながら単位がとれる。日本は過去の貯金で生きているという感じがある。次世代に残るためにも、若い人たちへの期待がある。政府だけでなく企業、NGO、大学を含めて、ワンチームになれればいい。日本はまだアフリカでは信頼されているので、信頼を裏切らないためにも支援し、その先にビジネスパートナーとしての展開ができないかと思う。

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