毎日・世論フォーラム
2020新春会員交流会
2020年2月13日
日本ラグビー協会副会長 清宮 克幸

テーマ
「清宮流マネージメントの極意」

会場:ホテルニューオータニ博多

言葉には、結果に導いてくれる
不思議な力がある

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清宮 克幸 日本ラグビー協会副会長
清宮 克幸 氏

プロフィール

清宮 克幸
(きよみや かつゆき)

1967年、大阪府生まれ。府立茨田(まった)高校でラグビーを始め、早稲田大、サントリーで中心選手として活躍。指導者としても、早稲田大ラグビー部監督として大学選手権で3回の優勝を果たし、2007年度にはサントリーを初のトップリーグチャンピオンに導いた。2011年~19年1月、ヤマハ発動機ジュビロ監督を務めた。19年6月、日本ラグビーフットボール協会副会長に就任した。

 日本ラグビー協会副会長の清宮克幸氏が2月13日、福岡市のホテルニューオータニ博多であった毎日・世論フォーラムの新春会員交流会で、ゲストスピーカーとして登壇した。約120人を前に「清宮流マネージメントの極意」と題し、チーム育成の経験を語った。
 清宮氏は早稲田大やサントリー、ヤマハ発動機で監督を務め、チームを優勝に導いた。ヤマハでは年月をかけて独自のスクラムを築くなどした結果、選手らが自らのラグビーを「ヤマハスタイル」と誇るようになり、チームの熱が高まったと紹介。「言葉の力は本当に不思議で、結果に導いてくれる」と語りかけた。
 早大の先輩で、日本の国際貢献に力を尽くしながらも2003年にイラクで銃撃されて亡くなった外交官、奥克彦さんとの思い出も披露。「『ノブレス・オブリージュ』(高い地位・身分に伴う責務)という言葉を大切に日々生活している」と語った。
 スピーチ後の会員交流会は、西日本鉄道の長尾亞夫相談役の乾杯の音頭でスタート。清宮氏を含めて会場のあちこちで話に花が咲いた。スピーチの要旨は次の通り。

 ラグビーがこんなふうになるとは誰も思っていませんでした。バラエティー番組やCMにラグビー選手が出てくるなんて夢物語。もちろん日本代表がああいう(ワールドカップベスト8の)結果を残したことが大きいが、何が良かったか。
 トップリーグのチームの犠牲によって、日本代表の強化がなされたという話をしたい。ラグビー協会は代表の強化、普及、事業が三本柱だが、三つ追いかけていたらもたない。強化だけしようという流れになった。どうやるかというと、南半球で行われているスーパーラグビー。ここに代表チームを送り込む。そのためにトップリーグの期間を半分にした。17、18年は年間15試合のリーグ戦を7試合に。W杯イヤーの19年はさらにゼロにする。1試合もしないが、各チームは選手がいるので予算はしっかり使う。しかし試合はゼロ。1チーム平均15億円で16チーム。200億ぐらいのお金を代表のために使ったといってもおかしくない。ここまででも結構な話。それなのに、ジェイミー・ジョセフという監督は、日本代表をスーパーラグビーに送り込まなかった。送り込んだのはBチーム。主力メンバーを自分の足下に置きたいと言い出した。怒りますよね。なんのためにやってきたんだと。何十億、何百億そのために使ったのに。しかし、これがうまくいった。ジェイミー・ジョセフの、彼にしかできなかった戦略が、ベスト8の一番のポイントだったと思う。他の監督だったらできていないだろう。
 彼がそういうオリジナリティーを追求した背景は二つあると思う。一つは、スーパーラグビーに主力を送り込むと、ほぼ負ける。「負けぐせをつけたくなかった」と、これは本人から聞いた。もう一つ、試合があると追い込めないという話。試合がないがゆえに、ギリギリまで選手たちを集めて合宿して追い込めた。そんなことができたのは世界で日本だけ。彼にしかできなかったこと、日本にしかできなかったこと、というのがW杯で日本代表が奇跡を起こしたポイントの一つだったと思う。
 (私が11年に監督に就いた)ヤマハラグビー部は会社がリーマンショックで赤字を出し、ラグビー部の強化縮小と言ってどん底を味わったチームだった。(就任に際し)一緒に(サントリーから)ヤマハに来ることに決めた長谷川慎にこう言った。「ヤマハしか組めないスクラムを作れ」。すぐにフランスに送り込んだ。その前年度、フランスがスクラム研究所というのをつくる。年間2億円ぐらいのお金をかけて、スクラムを科学する。体の大きなイングランド人に勝つためにスクラムを科学するというDNAがあった。そのフランスに行って長谷川が1カ月半ぐらいでいろんなチームを回った。次は選手を連れていく。武者修行だ。行った先のチームでスクラムを組んでもらう。その中でヤマハに合うものを選ぶ。2年間それを繰り返し、4年目のシーズンに出来上がった。「ヤマハスクラム」、ヤマハにしかできないスクラムだ。
 日本一になった年に、この武器が、ものすごく要因になった。どのチームも圧倒した。16年、ジェイミー・ジョセフが日本代表監督に就任、ヤマハの試合をスタンドから見ていた。試合が終わった後僕のところに来た。「清宮さん、ヤマハのスクラムすごいね。ヤマハのスクラム最高だね」という。ついては、日本代表に取り入れたい、長谷川コーチを私に貸してくれないか。こう言ってきた。また、日本代表にヤマハの選手たちを選びたい。ジャパンがヤマハのスクラムをマスターするためには、ヤマハのスクラムを組んでいる人間が隣にいるのが一番いいだろうと。僕は「いやあ、うれしい、どうぞ」と応じた。しかしヤマハの選手たち、いい感じはしていなかった、実際は。日本代表にはパナソニック、東芝、サントリーの選手もいる。「なんでライバルに教えないといけないのかと」と。僕は「小さいこと言うなおまえたち。オリジナルがスタンダードになる。その瞬間にしか味わえないものが手に入る」「そういうことを作った人間だけの絆とか、行動に対する責任感、チームに対するロイヤリティーが生まれるのが分からないのか」と。こう言うと、彼らは「そうですね。また作ればいいですね」と、気持ちよく出て行った。ヤマハにしかやれない行動のことを彼らはこう言った。「ヤマハスタイル」。「ヤマハスタイル」と一言言うと、こういうことをしよう、なぜならこうだから、と行動を変えてしまう。行動を変える言葉を持っているかいないか。これは結果が出るチームかそうでないかの、一番大きな分かれ目だと思う。ヤマハはこの「ヤマハスタイル」を手に入れた。独自性があってそのチームが熱くて、その中にいることが喜びであって。で、そんなチームが強い言葉を持っていること、というのが、僕がこれまで率いてきたチームに共通して言えることだ。
 言葉の力というのはほんとに不思議で、結果に導いてくれる。いろいろな言葉を僕は、これまでも使ってきたが、奥克彦さんという尊敬する兄貴からいただいた言葉が一つある。その言葉を最後に話して終わりたい。
 奥克彦さんという早稲田ラグビーの先輩は、日本で初めてW杯 をやろうと言い出した人。この人がいなかったら日本にW杯は来ていない。その奥さんは、03年の11月にイラク・ティクリートで何者かに殺害された。外交官だった。残った人間たちに、奥先輩の遺志を継ぐという使命が残った。僕は日本のラグビーを、現場で動かしていくというのを自分の中で(使命と)置き換えた。そこからもう17年。日本のラグビーは(今も)危機だ。何万人お客さんが入ろうが、来年の予算も立てられないような状況。これを変えるにはプロ化しかない。僕の中の使命感がどんどん湧き上がってきている。僕たちの仲間は(奥さんが体現した)ノブレス・オブリージュという言葉を使っている。その人間が果たさなければいけない責務、その人間にしかできないこと(という意味だ)。そんなノブレス・オブリージュという言葉を大切にしながら、日々生活をしている。自分にできること、今自分がやらないといけないことは何だと、念頭に置いて活動している。
 福岡でラグビーのプロチームが立ち上がる場合はみなさん、ご協力をぜひお願いしたいと思います。ありがとうございました。