毎日・世論フォーラム
第325回
2020年1月31日
国際オリンピック委員会委員 国際体操連盟会長 渡辺 守成

テーマ
「21世紀の産業革命はスポーツから」

会場:西鉄グランドホテル

スポーツは無限の
イノベーションの可能性を含む

渡辺 守成 国際オリンピック委員会委員
国際体操連盟会長

渡辺 守成 氏

プロフィール

渡辺 守成
(わたなべ もりなり)

1959年2月、北九州市生まれ。高校で体操を始め、東海大在学中に留学したブルガリアで出合った新体操にひかれ、ジャスコ(現イオングループ)に入社して普及に尽くす。日本体操協会専務理事、2013年から国際体操連盟(FIG)理事を務め、16年10月、アジア人として初めてFIG会長に選ばれた。18年10月、国際オリンピック委員会(IOC)委員に就任。IOC委員の山下泰裕・日本オリンピック委員会会長とともに、五輪開催国としてIOCとの連携強化を進める。

 国際オリンピック委員会(IOC)委員で国際体操連盟会長の渡辺守成(もりなり)氏が1月31日、福岡市の西鉄グランドホテルであった毎日・世論フォーラムで「21世紀の産業革命はスポーツから」と題し、約100人を前に講演した。渡辺氏は世界中で高齢化が進み健康への関心が高まるなか、スポーツが大きな役割を果たし、介護や街づくり、旅行など多くの分野とコラボレーションができると指摘。「日本がスポーツによる高齢化社会対策のビジネスモデルを作っていければ、世界をリードできる」と強調した。
 その上で「東京五輪で選手たちが戦う姿に触発されて、企業、地方自治体が新しい時代に挑戦するイノベーターとなってほしい」と語った。講演要旨は次の通り。

 国際五輪委員会(IOC)委員は世界のスポーツの政治的頂点だ。私はメダリストではなく、たいした選手実績もなくIOC委員になった。なぜ私がIOC委員になったのか。
 体操競技に打ち込んでいた東海大学在学中に交換留学生としてブルガリアに留学した。ブルガリアでは体操を指導したが、そこで新体操という競技と出会った。今はメジャーになったが、当時はマイナースポーツ。初めてブルガリアで新体操をみた時に「美しい」と思った。新体操の指導は選手たちに本を読ませ、芸術を学ばせる。美術館で絵を見せて「きれい」「素晴らしい」を教える。コンサートで音楽を聴かせて「感動」を教える。哲学を教える。選手は内面から湧き出る感情表現で観客を感動させる。こんなに感性のある人間を育てることは素晴らしいと思いブルガリアに残って新体操の指導を学んだ。帰国して進路を考えた時、新体操のことが頭から離れなかった。大学4年だったが、新体操の普及のため企画書を作り小売り各社に売り込むと多くの企業が興味を持ってくれた。ところが当時のジャスコ、今のイオンだけは違った。「うちに入社し社員として自分で事業を確かなものにしなさい」「広告費は景気がよければ出せるけど悪ければ最初にカットされる」と言われた。考えた末ジャスコへの入社を決めた。
 入社するとスポーツ事業部に配属され、さっそくジャスコ新体操教室を開講した。ビラをポスティングする地道な活動を続けた結果、1年後には会員数100人に達し、ジャスコの他の店舗でも教室を開講し事業として軌道に乗せることができた。今では全国34カ所7000人のスクール生が将来の五輪チャンピオンを夢見て通っている。さらに新体操の普及発展に尽力するため、1992年に全日本新体操クラブ連盟を設立。反対の声も大きかったが、クラブ運営方法や指導者の育成を最優先にした。設立当初三十数クラブだったのが今は577クラブになってさらに増え続けている。
 1988年に日本体操協会の理事になった。「栄光の体操日本」が1996年アトランタ、2000年シドニーと2大会連続でメダルゼロの時代。協会は私に体操日本の復活を命じた。手をつけたのは人事。当時、スポーツ団体の役員は学校の教員が多かったが、企業からの人を増やし改革を推進しやすい環境を整えた。2番目は大会運営の改革。全日本クラスの大会はすべて東京で実施し、認知度を高め選手のモチベーションを上げた。一番苦労したのが強化本部の改革。ここは職人の集団、つまりコーチの集団だった。経験値が最優先され、戦略、戦術がなく、議論もなかった。生み出したのが「アテネ五輪サポート委員会」というサポート部門。強化本部の尊厳、権威を守りつつあくまで強化本部をサポートする形で議論を始めるところからスタートした。そこでの戦略は勝利の定番「フォーカス・アンド・ディープ(集中深化)」。メダルを獲得できる男子体操団体の強化に特化した。協会のすべての原資を集中し反発はあったが、約束通り体操日本はアテネ五輪で冨田洋之君の「栄光への架け橋」にたどり着いた。金メダル一つで体操日本の未来の歴史も大きく変わった。大会の入場者は一気に増えて、テレビ放映権もスポンサーも獲得できるようになり、大会が利益を生む事業に変革した。こうした実績が認められ2013年に国際体操連盟理事、17年に会長に就任した。この時、米国体操界の性的虐待事件があったが、世界で初めてスポーツでの三権分立を提唱し、選手を保護するシステムをつくった。18年にIOC委員になり、その後も要職を与えられるようになった。
 私は21世紀の産業革命はスポーツからという理念を持っている。18世紀後半から19世紀英国で始まった第1次産業革命は、社会構造を大きく変え、生活が豊かになった。その後もいくつかの産業革命があったが、社会や人々の生活、心が豊かになっているかというと私は疑問を感じる。産業革命はいつのまにか企業の利益追求になってしまい、人々の豊かさの追求という本来の意識から逸脱している。ところが、ここへきて過去の産業革命のひずみを修正し真に人々の豊かさを求める産業革命のチャンスが到来したと私は思う。高齢化社会の到来だ。日本は2060年には65歳以上の人口が40%を占め、超高齢化社会を迎える。そこで何が求められるか?家電や車などではなく、健康だ。21世紀の産業革命はスポーツを通じた社会保障費の削減を行い、目先の企業利益の追求でなく社会構造そのものに変革を起こして社会の利益、企業の利益の新しい形を創造することだ。そのときに日本が高齢化社会など社会問題対策のビジネスモデルをスポーツを通じ作っていれば、スポーツケアビジネスで世界をリードできる。健康寿命を延ばすのに必要な要素は運動と食事と社会参加。この3要素の中心がスポーツと私は思う。スポーツをすれば腹も減るし仲間もできる。スポーツこそが日本の高齢化社会を救う。スポーツを切り口にして教育、介護、住宅、街づくり、医療、旅行などさまざまな産業とコラボができる。スポーツにはイノベーションの無限の可能性を含んでいる。
 2020東京五輪を機にこの日本から世界を変えていく、スポーツを使って世の中を変えていくことをやっていきたい。東京五輪では、選手たちが未知への領域に挑戦する姿や海外の選手たちと体力、知力を尽くして戦う姿を見ると思う。これらの姿に触発されて日本の政府や企業や地方自治体が新しい時代に挑戦する、イノベーターとなって新しい時代を作っていく。そんな時代が来ることを願う。